《幼少期》
私は1984年、東京都府中市に生まれました。
当時、父は土建屋の日雇いアルバイト。
母は某化粧品メーカーの美容部員。
いつも仕事で忙しい父、美意識の高く若い母。
そんな両親のもと、一人っ子として育ちました。
父方も母方も、孫は私一人。
周りの大人たちに、とても可愛がられて育ちました。
大人に囲まれて育った私は、幼稚園で同世代に中々馴染めず次第に
「可愛いのが気に入らない」「ぶりっこしてる」
といじめられるようになります。
幼稚園の頃は、泣いてばかりいました。
でも、小学校に入る時には
「泣くからやられる。強くならなきゃ。」
と決意します。
気づけば、男勝りで「やられたらやり返す」
が当たり前になっていた私。
少し攻撃的で、ワガママ。
気づけば友達と、うまく馴染めない子供になっていました。
《父の起業》
私の父は、私が生まれた頃は土建屋の日雇いアルバイトでした。
おんぼろのアパートに、ガチャガチャのテレビ。
シャワーのない、すきま風の吹く家に家族3人。
不自由を感じたことは一度もありませんでしたが、
はっきりいって裕福ではありませんでした。
しかし、私が小学校三年生の時。
父が起業。
ある日を境目に社長になった父。
1000万の借金を背負い起業した父。
そのプレッシャーや大変さはその頃の私には分からず
ただただ「会社の社長」になった父に憧れと希望を抱きました。
家で仕事の事を、
ワクワクしながら楽しそうに話すようになった父。
将来の夢を語るようになった父。
社長になるんだ、会社をつくるんだ、かっこいい車に乗るんだ・・・
父は起業後、時間をかけて、でも確実に夢を叶えて行きました。
父親に、夢を追う姿、そして叶える姿を見せてもらったことは
私の人生に大きな影響を及ぼしました。
「お父さんにできるんだったら、私にできないわけがない」
父の姿を見て、そんな気持ちになりました。
学校での勉強も、運動もそこそこ。
飛び抜けたものは何もない冴えない自分。
そんな私でも、自分にしかできないことを見つけたら
社長でもなんでも好きなものになれるし、
飛び抜けられるんだ。
子供心に芽生えた漠然とした夢は、社長になることでした。
《中学時代》
元々小児アトピーだった私。
一時は症状が出ていませんでしたが、中学入学と同時に症状が悪化。
また、この後15年程悩まされることになる「ニキビ」が顔中に出るように。
ニキビといってもポツポツ、と出る程度ではありません。
顔中が真っ赤で、むず痒く、膿んだ大きなニキビが顔中にできました。
「もう誰とも会いたくない。」
「一歩も外に出たくない。」
完全に心をふさぎ込んでいた中学時代。
「顔洗ってないからそんなブツブツできるんだろ?」
同級生の心無い言葉に傷ついたりしました。
「汚いって思われてるんじゃないか」
「今、絶対、私ブスって思われた」
「昔は可愛かったのに、って馬鹿にされてる・・・」
「お母さんは綺麗なのに、そう言いたいんでしょ?」
一部の友人以外には心を開けず、被害妄想でいっぱいの毎日。
そんな中、父方の祖母の存在は私にとって何よりも救いでした。
ニキビだらけで真っ赤な顔の私。
ひねくれて、いつもふてくされた顔をしている私。
そんな私に、会うたびに必ず言ってくれた言葉がありました。
「あんたは世界一可愛い、本当に美人だ」
会えば必ず私を褒めてくれました。
そしてそれは、
祖母が身体を壊して入院しているときも続きました。
私が21歳の時、祖母が亡くなる日まで
会うと必ず「お前は美しく、素晴らしい人間だ」と、
伝え続けてくれました。
《進路》
高校に進学する気はありませんでした。
勉強しても、どうせ私は一番にはなれない。
人と同じモノサシで自分を図られるのは嫌だ。
「自分が一番になれるものを見つける為には、
人と同じ場所で同じことを学んでも意味ない。」
そんな気持ちから、高校以外の選択肢を探します。
そんな時見つけたのが、安室奈美恵やSPEEDなどを排出した
沖縄アクターズスクールの創設者が始めたインターナショナルスクール。
アクターズはエンターテインメントだけど、ここでは本当の教育をやる。
子供達の個性や才能を伸ばし、各分野のプロフェッショナルを育てる。
「ここなら自分の才能が見つけられるかも!!」
その理念に惹かれ、直感のみを頼りに15歳で親元を離れ
沖縄の全寮制のスクールへ入学します。
《沖縄時代 理想と現実》
実際入学したスクールではアクターズスクールの生徒が半数以上。
周りは性格が明るくて、綺麗で、好きなことやデビュー、
夢に向かってキラキラしてる人ばかり。
私は、自分がやりたいことが何かも分からず、
人とうまくコミュニケーションも取れなくて、
綺麗でもなんでもない。
容姿コンプレックスの塊だった私は周りの友人達の容姿や、
エネルギーに圧倒され、
人と比べる事でどんどん落ち込んでいきます。
ひたすら悩み、自分が何者かわからず、
ただひたすらもがいている。
沖縄の明るい海と空とは正反対の青春時代でした。
《沖縄時代 事務局》
結局自分の好きなことも、やりたいことも見つからず、
自分は将来何で食べていくのか?
何で自分の人生を作っていくのか?
手段がわからないままだった私。
スクールは文部省認可じゃないため、最終学歴は中卒になる。
「何か、身につけないと何もできない中途半端な人間になってしまう」
周りは好きな事や目標に向かって、どんどん先を行く。
でも私は・・・・焦る毎日。
そんな中、私の出した答えは
「とにかく目の前にあることを人の二倍三倍、誰よりもやる」というもの。
野球部時代は、早く起きて走って学校に行く。
部活が終わってから、壁当てやすぶりなど自主練。
夏休みも帰らずに、熱中症で倒れても練習をしていました。
次第に当時沖縄で放送されていた、
姉妹校アクターズスクールのテレビ番組制作の手伝いや、
イベントの裏方なども手伝うようになります。
元々、自分で希望した美術をしていましたが、
人が足りなければなんでもこなしました。
カメラマン、照明、音声、録音、記録、エキストラ、スチール撮影・・・。
ミュージカルなどイベント時は、営業周りから、
チラシづくり、当日のもぎりまで。
目立たないポジションで自分がやりたいことよりも、
必要とされることを優先。
踊ったり歌ったり。
特別なことができるわけじゃない自分。
私は誰でもできることしかできない。
だから、誰でもできることを、誰よりもやる。
そんな一生懸命さだけを買われ、スクールを卒業した私は
沖縄アクターズスクールの事務局で働くようになりました。
しかし、朝8時過ぎから夜中まで
ひたすらデスクでPCと向き合う日々に
いつしか危機感を覚えるようになります。
今のこの経験がいつか自分の将来に役立つと信じて働いていた私。
でも・・・・
周りは自分の選んだ道(歌やダンス、エンターテインメント)
でイキイキしている。
そして、周りにそれを求められて、喜ばれている。
だけど私は、毎日デスクにへばりついて
義務感だけでイヤイヤ事務仕事をしている。
今まで以上に、周りが眩しく見え卑屈になってきました。
そんな時、慣れない事務仕事で肩や首が痛くなり、
この頃始めてエステに行きました。
とにかく、短時間で少しでも疲れを取りたい。
仕事から離れる時間を持ちたい。
どこかへ逃げたいという気持ちでした。
たまたま行ったサロンでは、笑顔の素敵な優しい雰囲気
の女性が迎えてくれました。
肩首がほぐれただけではなく、
「大切に扱ってもらえた」
というものすごい満足感がありました。
「あのお姉さんみたいに笑顔で、楽しそうに働けるっていいな」
そう思いました。
それから私は、月に数度、エステサロンへ通うようになります。
同じ頃。
私は鏡に映った自分の顔を見て衝撃を受けました。
「あ、私すごいブサイクな顔してる」
みんなが羨ましい、なんで自分ばっかり、
私本当はこんな仕事がしたいんじゃない・・・!!!
眉間にシワを寄せてイライラした顔の自分がいました。
怒り、悔しさ、悲しみ、被害者意識・・・。
一緒に働く大好きな仲間たち。
寮生活で、蜜な時間を過ごした仲間たち。
苦しいときに助け合ってきた仲間たち。
どんな私も受け入れてくれた親友。
10年間苦楽を共にした沖縄でできた仲間は、
今でも大切な一生の宝です。
でも、自分が自分の生き方に納得してなければ
仲間と一緒にいても意味がない。
「こんな顔で毎日過ごしてちゃダメだ。
自分の人生を生きなければ・・・。」
・・・辞めよう
この時は、やりたいことがあっての前向きな「辞める」ではなく、
ただ直感と、逃げのような「辞める」でした。
大人になっても何がしたいか、相変わらず分からないまま。
でも、ここにいても私は自分の生き方に納得できない。
ただそれだけでした。
〈25歳で転職〉
地元、府中に10年ぶりに帰ってきた私は就職活動を始めます。
「長年悩んできた自分自身のニキビをなんとかしたい」
という想い。
そして、事務局で働き心身共に疲れていたときに
受けたエステの心地良さが忘れられずにいたことから、
美容関係の求人を漁ります。
最終学歴は中卒。
おまけにサービス業も、エステも未経験。
中途で入れるエステサロンは限られていました。
そんな中、大量募集をしていた脱毛サロンが目にとまります。
とりあえず、脱毛でもエステサロンで務めた経験があれば転職もしやすいかも。
そもそも続けられるかも自信もないし「とりあえず」やってみよう。
と、軽い気持ちで応募し、中途で採用が決まります。
〈大手脱毛サロン時代〉
脱毛サロンでは毎日、時間との戦いでした。
脇脱毛なら、1人10分の施術時間。
10分間でお客様の案内、施術、注意事項の伝達、
次回の案内、営業トークをこなします。
時間に追われて丁寧な接客やサービスの提供なんてとてもできない。
そして、売上重視の日々。
いかに高い契約を取るか。
研修のほとんどは、営業トークの練習でした。
効率を重視するため、指名制はなく今日施術したお客様の次回は見れない。
ひたすら「作業をこなす」毎日に疑問を持ちます。
サービスってなんだろう。
エステってなんだろう・・・?
長い日は、12時間を越える長時間労働。
休憩も取れないのが当たり前。
家に帰ったら、寝るだけの生活。
トイレに行く時間もないようなタイムスケジュール。
疲れ果てる毎日・・・。
体調を崩して辞めるスタッフも多く、体力・気力勝負の毎日でした。
「こんな厳しい仕事、長くは続けられない・・・」
「エステってこんなキツくて面白くない世界だったんだ。」
辞めようかな。
でも、ここで辞めたら中途半端なカッコ悪い人間になってしまうかも・・・
悩む日々が続きました。
そんな中、あるお客様の一言が私にきっかけをくれました。
「脱毛って痛い、苦痛な日だったんだけど、永松さんに丁寧にしてもらって初めて楽しみに思えました。ありがとう。もしよかったら、次回も担当してもらうことはできますか?」
頭をガツン、と打たれたような衝撃でした。
感動してトイレにこもって泣きました。
お客様に喜んでもらえる事が、こんなに嬉しいなんて。
エステって、素晴らしい仕事だ!
このお客様の一言で、
「私はエステに自分の人生かけてみよう!」と決意します。
でも・・・・
ここまで時間に追われていたら、
丁寧な接客なんてできないのが現実。
感謝してくれたお客様みたいに、
喜んでもらえるサービス、エステがしたい。
今の会社にいたら、それは難しいのかも・・・。
でも、ろくに経験のない私がそんな簡単に転職先なんて見つからない。
「もっといいサービスを提供する人になるには、どうしたらいいのか?」
考えた結果が「専門学校で一流の知識、技術を学ぶ」ことでした。
薄利多売をしてるサロンでは働く側にも、お客様側にも不満が多い・・・。
一流のエステティシャンになって、一流のサロンに入りたい。
学歴もない、若くもない、経験も何もない私が
今から一流になるには基礎から学ばないとダメだ。
決意したら、すぐ行動。
半年ちょっとで会社を辞めて一年間、エステの専門学校に通います。
〈専門学校〉
入ったスクールはタカラ・インターナショナルエステティックカレッジ。
エステティックで一流とみなされる
国際資格・CIDESCO取得を1年で目指せるスクールでした。
入ってびっくりしたのはまず、校則の厳しさ。
髪の色、まつエク禁止、爪は短く、下着の色は白かベージュ。
入学初日から心臓血管系の解剖学が始まり、2週間に1度は試験がありました。
合格点に満たなければ追試。
フェイシャル、ボディ、ネイル、メイク、脱毛の実技。
皮膚理論から解剖学、化粧品学、衛生管理、機器についてなど、とにかく勉強の日々。
9時から17時までが授業。居残り練習、家に帰って勉強。
そんな日々が1年間続き、無事にスクールを卒業しました。
スクールに行くことでエステティックの幅広さ、
奥深さを知ることができました。
知識、技術、経験はスクールに行ってもまだまだ足りない。
しかし、「基本」を学ぶことで自信がつきました。
また自分の「ニキビ」、またお客様の肌トラブルの原因が理解でき、
その解決方法も知ることができました。
今まで色んなメーカーの化粧品を使ってもニキビが治らなかった理由。
雑誌やTVで言ってる美容法が、正しいのかどうかの判断。
また、お肌に合ったケア方法や化粧品を選ぶ知識を、得ることができました。
日本エステティック協会認定エステティシャン、
CIBTACボディ、エステトリートメント、
CIDESCO、CIDESCOアロマテラピーと受験し、無事に全て合格することができました。
《高級住宅地でのサロン勤務》
自分自身にニキビなど肌悩みがあったことから
フェイシャル中心のメニューのサロンへの就職を希望した私。
また、大手ではなく小型店舗のほうがサロンワークも細かく経験でき、
将来独立したときに役立つと考えました。
そして、脱毛サロン時代の経験からひとりひとりの接客時間を
十分にとっているサロンを選びました。
就職したのは高級住宅地にある化粧品メーカーの直営サロン。
TVやメディアでも活躍するカリスマ社長の元、
エステティシャンとして経験を積みます。
エステティシャンとしても社会人としても未熟だった私。
サロンワークを通じて、会社、お客様、先輩、同期、後輩に、
たくさんの経験をさせていただきました。
勤務態度や接客について、売上について厳しい意見をくださった先輩。
技術ができなくて凹んだ時に励ましあった同僚。
「永松さんにお願い」と指名してくださったお客様。
全てが勉強の日々でした。
〈独立に向けて〉
そんな中、自分のサロンを持ちたいとの気持ちが日に日に大きくなっていきます。
専門学校に入学した時点で
「30歳までに300万円貯金して自分のお店を持つ」
ことを目標にしていました。
「いつか」「準備が整ってからやる」
と言って結局やらない人は、たくさんいます。
「やる」といって「やらない」まま、時間が過ぎるのは嫌!
だから期限を決めました。
30歳までに始めれば、もし失敗してもその後何とでもなる!
そう思っていました。
就職したサロンは素晴らしいサロンでしたが、
リラクセーションがメインで肌質改善まではいたりませんでした。
この頃まだ、私自身もニキビで悩む日々が続いていました。
そして、お客様でも肌悩みで悩む方はいました。
それを、解決してあげられないもどかしさ。自分の力不足。
働く中で
「リラクセーションも好きだけど、
もっと肌質改善・結果にこだわるサロンをしたい」
と思うようになりました。
「十分に経験を積んでから、もっと上手くなってから」
と思っていましたが経験すればするほど奥の深い美容の世界。
技術や知識に完璧、天井はありません。
「もっと上手くなってから・・・」
「もっと貯金が溜まってから・・・」
どんなに技術や経験があっても体調を崩したり、
結婚や出産で仕事を離れる人も多い美容業界。
完璧に準備できるのを待っていたら
いつまでも独立はできない気がする・・・。
そして、女性ならではの悩み。
結婚や出産した場合、お店をどうするのか。
周りからは、結婚したあとに始めたほうが良いとも言われました。
でも・・・
「いつか結婚して出産してから・・・」
なんて言ってたら、いつ始められるか分からない。
お金もない。経験もまだまだ。
でも・・・・「はやく、自分でやりたい!」
27歳の春。
せっかちな私は、年内にOPENすると決意します。
経験も、知識も、お金もない。勢いと情熱だけ。
経営についてなんて、何もわかりませんでした。
でも・・・
「お肌質にあったエステでのトリートメント。」
「肌質やトラブルに合わせた化粧品の選択。」
「皮膚科ではできないキメ細かいカウンセリング。」
「肌質を根本から変えられるエステサロンを創りたい!!」
お肌が綺麗になれば、気持ちや表情が明るくなる。
笑顔になれる。
コンプレックスで悩んでる時間はもったいない!
今よりもっと、「楽しく」綺麗になれるんだ!と伝えられる。
そんな場所を創りたい。
そう決意してからは、仕事が休みの日に
化粧品ブランド選び、すでに個人サロンをOPENしている方にお話を聴きに行ったり、
物件を見に行ったりしました。
とにかく自分で思いつく行動を起こし始めました。
資金のこと、物件のなど夢に描いたようにいかない部分もありました。
だけど、2012年12月。
地元・府中駅徒歩3分のところに
エステサロンSUHADAをオープンしました。
「お肌の悩みやトラブルを根本的に解決できること」
にこだわったサロンです。
まずはカウンセリングでしっかり状態を伺い、
洗顔後にも肌分析を行う
ひとりひとりに一番あった特別なトリートメントを行っていきます。
結果にこだわる。でも、「痛い、怖い」トリートメントはしたくない。
エステで気持ちよく、癒されながら。
楽しく、結果を出していく。
日々のお手入れが楽しくなる。
肌悩みを解消して、笑顔で過ごせる。
そして、綺麗になるのがますます楽しくなる。
そんなサロンです。
お客様ひとりひとりのお肌と心に向き合うことで、
自分自身が成長させてもらっていると日々実感しています。
テクニックや、知識だけじゃなくて
お客様の気持ちに寄り添うことの大切さ。
サロンを始めてから、本当にお客様に満足していただけてるのか、
これからやっていけるんだろうか?不安になることもありました。
でも、いつもお客様の笑顔や感謝の言葉に励まされてきました。
20代の女性のお客様からは、
「今まで色々なエステサロンに通いましたが、
ここまで満足できたのはSUHADAさんが初めてです。
月に2回程通っていますが、大満足です。
友達にも紹介しましたが、とても良かったと満足してくれました!
店長さんの人柄もよく、常にこちらのことを考えてくださるので
いつも楽しみに通っています。
これからも美肌になるために通い続けたいと思います。」
30代の女性のお客様からは、
「今日は気になっていた毛穴を綺麗にしてもらいたくていってきました(*^o^*)
自宅ではなかなかケアが難しい毛穴の汚れが一度でとても綺麗になって大満足です☆
特に夜クレンジングした後にまたハッキリと実感できました!
これから定期的に通うとお肌が変わってくれる期待大ですo(^▽^)o
カウンセリングもすごく親身になってくれて、
知識も豊富で何でも相談しやすいです。
通いやすい料金も魅力的ですね♪
マッサージも気持ちよくてとてもリラックスできました!
また行かせていただきます!」
50代の女性のお客様からは、
「先日は、ありがとうございました。
まだお肌がモチモチしております。
ずっとエステサロンに通っていたし、そこそこ高い化粧品を使っているので
お肌には自信がありました。
そちらのエステには、まあこれ以上悪くならなければ、
気持ちよければ・・・
と思ってお邪魔したのですが、本当にびっくりしました。
美白のコースでもないのに、
一回であんなに顔が白くなって、モチモチに
なるなんて、思ってもなかったです(ごめんなさい!)
マッサージもお上手で、本当に、違いが分かりました。
肌を見てもらって、意外と水分不足だと教えていただいたので
これからケアも頑張ろうと思います。よろしくお願いします。」
そんな嬉しい声を沢山いただいています。
(その他お客様の声はこちらからもご覧いただけます♪)
毎月、当たり前のように次回予約をとってくれるお客様。
「月1回、ここに来ることで日々を頑張れる」とおっしゃってくださるお客様。
「ここに来てから、肌トラブルが改善して毎日が楽しくなった」と言ってくれたお客様。
「他にもサロンはあるけど、永松さんにお願いしたい」と片道一時間以上かけて来てくださるお客様・・・
信頼してくださるお客様のためにも、
もっと高い技術、知識をもちたい。
もっといいサロンにしていきたいです。
2015年には、よりリラックスしていただけるよう
にプチリリューアルをし化粧品ブランドも、
よりプロフェッショナルなブランド・結果重視のダーマロジカに変更。
これからは今まで以上に結果にこだわります。
そして
「楽しく、ワクワクしながら綺麗になれる」
「綺麗になって自信をもって笑顔で過ごせる」
そんなお手伝いのできるサロンにしていきたいと思います。
最後までお読みいただきましてありがとうございました!!
永松麻美