「普通」ができなかった私が、自分だけの道を見つけるまで

その言葉は、まるで呪いのように私を縛り付けていた。普通に友達と遊び、普通に勉強し、普通に将来を考える。でも、なぜか、私にはそれができなかった。なぜ私は「普通」になれないんだろう。その問いは、幼い頃からずっと私を苦しめていました。
子供時代、友達の輪に入れず、一人で絵を描いたり、絵本を読んでいた。いじめられた時、両親が「やり返せ」という父、「やり返すなんてダメ」と喧嘩するのを見て、私は悩みを誰にも言えなくなった。人と深く関われば傷つく。そう信じて、心を閉ざした。
と、深い自己否定に支配された。学校に馴染めなかったのは容姿のせいだけじゃなかったかもしれない。勉強も意味が見いだせなかったし、日々何か生きづらさのようなものを感じていた。「みんな一緒の服を着て、みんなで同じ行動をする」団体生活がとにかく辛かった。
「学校に行きたくない」そう言った私に、母が泣きながら言った。「なんで普通にできないの?」。母を悲しませた罪悪感から、私は決意した。
人と同じレールに乗るのが怖かった。自分だけの道を見つけたい。15歳で親元を離れ、沖縄のアクターズスクールの姉妹校のインターナショナルスクールに入学した。そこには、才能に溢れた人たちがいた。
私は、自分の無力さを知った。それでも目の前のことは「人の二倍、三倍やる」とがむしゃらに努力した。深く信頼していた人からの裏切りに遭ったり、「もう誰も信じられない」と絶望したこともあった。
そんなどん底で、心の奥から一つの声が聞こえた。「このまま終わるのは嫌だ」。私は長年押し殺していた「綺麗になりたい」という切実な願いと向き合った。
ニキビだらけで、日焼けして真っ黒、髪は男の子みたいなショートヘア。毎日運動着を着てた私が、髪を伸ばし、服を変え、メイクを始め、見た目が変わると、世界が変わった。私は知った。美容は、ただの「おしゃれ」じゃない。それは、自分を取り戻すための「手段」なのだと。
ニキビは治らなかった。だから私は決意した。「誰も私を綺麗にしてくれないなら、自分で勉強するしかない」。25歳でエステの道へ。
専門学校で国際資格を取得し、一流サロンで経験を積んだけど、私はやはり「普通」になれなかった。先輩たちから「変わってるよね」「協調性がない」「マイペースだ」という言葉に傷ついたりした。全力で、職場に馴染もうと努力してた時に言われた「なんでそんなに、協調性ないの?」その時、私は悟った。
28歳で独立し、サロンを開業した。集客に苦しみ、経済的に困窮した日々も、私は諦めなかった。自分の価値を信じ、本質的なサービスを追求し続けた。
今、私はエステスクールの講師として、多くの生徒さんを指導している。
- 「リピートゼロ」だったセラピストが、お客様の使命が増えて仕事が楽しいと心から笑うようになった。
- エステ未経験だった30代の方が、数ヶ月で都内の人気サロンの店長になった。
- 不器用で不安だと言ってた40代の方が、今ではサロン開業し4年目の立派な経営者になっている。
- 食べていけるか不安だと言ってたシングルマザーが、腕1本で息子を大学まで通わせられたと言ってくれた。
かつての私のように、不器用に生きていたり、葛藤してい受講生たちが、自分の手で未来を切り拓く姿を、私はたくさん見ている。
自分自身のあの苦しみも、あの挫折も、あの絶望も、全ては今の私を、そしてこのスクールを創り上げるために必要な「遠回り」だったのだと、心から思う。
人は本当に苦手なことにエネルギーを注いでも、大した成果は出せないから・・・。
できないからって諦めるんじゃなくて、方向転換をすればいい。
でも、「不器用さ」や「痛み」は、自分だけの強みになる。
自分らしさが、活かせる道で、エネルギーを注げばいい。
あなたの生きづらかったり、苦しんできた物語は、誰かの心を救う「武器」になる日が来るから。
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執筆者

永松麻美(ながまつあさみ):東京都世田谷区(下北沢)でエステサロン&スクールSUHADAを運営してるオーナーエステティシャン・エステ講師。サロンは12年目。初心者からエステサロン開業を目指すための技術・知識スクールを運営、卒業生の開業・経営サポートにも携わっている。美容家としてTV・ラジオ・雑誌の美容記事監修・執筆、化粧品や美容アイテムの監修メディア出演もしている。著書に「シワとりパーフェクトブック」「正しい知識がわかる 美肌事典」「キレイかどうかは自分で決める」「表情筋ほぐし」がある。